阿川佐和子さんのエッセイ集「老人初心者の覚悟」を読了しました。
その中で共感した作品「音色はいずこ」について先日このブログで書きましたが、「だからでも違うの」という作品にも考えさせられました。会話の中でどんな言葉で話を始めがちか、そしてそれが相手にどのような印象を与えるか、について書かれており、たとえば、癖で話の冒頭に「だから」を使ってしまう人は本人が意図していなくてもきつい印象になる、また、反論するわけでないのに相手に対して常に否定語で返してくる人がいる、等々。
私はアメリカで働いていて、業務メールは英語なのですが、最近、自分が文章をつなぐときに "but" という接続詞を使いがちなことに気づきました。"but" を "and" に言い換えたり、2つの文にわけて2つ目の文を接続詞なしで始めても言いたいことが通じるとわかり、以後気をつけています。職場でのコミュニケーションの大半はメールなので、「 "but"の多用で否定的な印象を持たれてたかなあ」と思ったりしています。でも、英語は母国語ではないため、このようなことに気づいても大きく落ち込んだりはしません。が、母国語である日本語の会話で自分がどんな言葉で話を始めがちかは、「自分が気づいていない嫌な癖があったらどうしよう」と怖くて、まだ分析していません。年齢を重ねるごとに会話上手になりたいと思っているので、自分の癖を直視しなければいけないのですが、嫌な癖があったら落ち込むだろうし、自分を責めてしまいそう。向き合う勇気が出るのをちょっと待ちます。
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